日本を憂うる熱血社長ダイテック中内のブログ

日本人の常識は世界の非常識。日本は島国ではなく海洋国家であるべきを基本コンセプトに、日本という国家及び日本人の現状そして・・ これからあるべきこの国の形や我々の考え方を皆さんと一緒にフランクに考えていきたい・・

2011年05月

代替エネルギーとこの国のリアリズム

ダイテック 中内です。

昨今、原子力発電を止めて自然エネルギーに変えようという議論が高まっていて、中でもこぞって太陽光発電に向かっているが・・
また、Cannot総理(欧米では管直人総理をCan not総理と中傷して呼ぶようだ)がG8で自然エネルギーを全体の20%にする。と宣言したようだ。

確かに、代替エネルギーに関する議論は賛成だが・・・
本当に出来るのだろうか?
出来るとすればどのような方法で何時までに?
1000万戸に設置すると言っているがその補助の財源は?
福島原発の処理と同じく、ロードマップは全く示されていない。

私の友人に10年以上前から一部上場企業で代替エネルギーの研究をしていて、政府に諮問したり各大学で講演したりしている人がいるが・・
彼の言によれば、太陽光発電は実に効率の悪い発電方法だそうだ。
簡単に言えば、山手線内すべてに太陽光パネルを敷き詰めてやっと火力発電所1基分の発電量になるそうである。
彼はバイオエネルギーを推進しようとしているのだが、トウモロコシ等から採るバイオエタノールでは無く、間伐材や阿蘇山ふもとの草千里の刈った後の芝を蒸し焼きにしてガスを出し、そこから電力を得るというものだ。
蒸し焼きにした草や間伐材は木炭のような状態になるので再利用して、更なる蒸し焼きの為の燃料とするというもので、数年前に実用化されていて九州や山形県でも使われている。

問題は、間伐に対する補助金は農水省から土石流対策の為に出るようだが、間伐した枝を山から運び出すことに補助を出す状況になっていないので、今のところ間伐材は朽ち果てるようにその場に置かれたままになっている。
効率悪い太陽光発電に対する補助を考えるのであれば、前述した間伐材を山から運び出すことに補助した方が良いと思うし、
私が思うに、もともと、原子力発電が悪いわけでは無いし、原子力発電政策は世界的に見ても当分の間捨てるわけにはいかないと思う。逆に原子力発電を安全な物にするための研究に補助を出す方が現実的だと思う。

何故なんだろう・・・今回の福島原発問題だけで(と云うと語弊があるかもしれないが・・)”原子力発電は悪だ!”
のような議論や世論が一気に湧き上がってくるのは・・・

本当に皆さん、原子力発電無しでこの国の電力事情つまりは経済活動に至るまで維持していけると考えているのだろうか?
現実を見ずして、なんとなく・・そんな気がするのような感じだけで原子力発電反対!なんて言っているだけではないのだろうか?
もっと、現実的に考えるべきだと思う。この世の中は夢物語だけで済まないのだから。

地方主権その2

ダイテック中内です。

以前、地方主権のブログを書いた時になぜ明治維新の時の廃藩置県は殆ど反対もなく上手く行ったのだろうかと疑問を呈したことがあったが、
調べてみると・・・
当時の大名たちはこぞって廃藩置県に賛成したらしいことが分かった。
自分の土地や人民がある日突然”国の物です”と言われることに疑問はなかったのかと云うと全くなく、我先にと差し出したそうだ。
理由の一つは財政・・・
当時の各藩の財政は相当悪化していて大名はその財政建て直しというより財政をどうしたらよいかも分からず途方に暮れていたのが実情のようだ。
大名が知事と云う職を明治政府から貰って財政のことを考えなくてもよくなり、さらに言えば給料が国から支給されるのだからこんな良いことは無かったらしい。
理由の第二は、もともとこの国には土地の私有と云うのはあまりいきわたっていなかったらしく、特に武士階級は土地を所有してそれを貸すなどと云う下品なことは武士道にあるまじき行為とされていて、各藩大名は自分たちの土地はほとんど持っていなかったらしい。江戸屋敷さえ拝領屋敷と言って幕府から特別に与えられた私有だったらしく
私有といえど拝領と云う感じなのだから、所有しているという意識は乏しい。
したがって、廃藩置県の時も自分の土地と云う意識がないのだから国に返還するのは当たり前と云う感じだったようだ。

さて、今議論されている地方主権だが・・・
議論や言葉ばかりが先走っているが(ずっとこのブログでも言って来たが・・日本人は深く考えずに一方向に向かう・・)本当に地方に財源を移して”地方が出来ることは地方に!!”などと偉そうに言っているが出来るのだろうか?

私見だが・・・非常に危険な気がする。
このたびの福島原発のことを見ていても・・確かに政府の出来の悪さは批判のしようもないが・・ただ、だからと言って地方だけで復興復旧していけるのだろうか?
私が最も奇異に感じるのは・・・
恐らく原発を造る時は推進派や反対派がいろいろ議論した結果、誘致を決めたのだろう・・
その折は今起こっている事を想像しなかったと言うならそれは、自分たちが馬鹿だったのだ。
また、原発がある間、この地方は国からの補助、更に言えば東電の仕事があって雇用もあったのだろう・・
今になって・・こんなはずでは・・と云うのはあまりにも虫が良すぎるのではないか?

私は被災地の人たちに対しどうこう思っているわけではない。
もっと、現状を良く見て考えて行動することが重要だと言っているのだ。
どうも、この国には古来、天皇ってものが出来た時(天皇制を批判しているわけではないので誤解なきよう)からリアリズムを捨ててしまっているような気がする。
今の時代を見ていてもリアリズムを持った時代とは言い難い気がする。
現実を直視し考えれないのに地方主権なんて・・困るのは我々自身なのだがなぁ・・

もう、そろそろ・・

ダイテック 中内です。

久しぶりのブログです。
明日20日に遼寧省の旅行会社から震災後はじめて関東方面へ13名の訪日旅行が来る。
成田空港では観光庁長官や幹部、JNTOの職員の皆さんが出迎える予定だ。
旅行社側は日本の状況を知りたいと云うリサーチの意味もあるようで、浅草やDLなどへ行くようだ。
いずれにせよ、大変喜ばしい事だと思う。

一昨日まで上海に行っていたのだが
CCTVを見ていても、もう殆ど東日本大震災のニュースは無い。
誤解を恐れずに言うなら、やはり福島原発の処理をどうするのか・・に対する関心しかない。
どちらかと言えば、中東情勢やら中国国内情勢に目が向いているようだ。(風化と云う意味では無いので誤解無きよう)

GWに東日本大震災ボランティアツアーに多くの人が参加した。と云う事は聞いていた。
参加した人が何かのニュース番組のインタビューで”もっとボランティア活動が出来ると思っていた。待機が多くて意味が無い”と云うような事を言っていたのを観たが、
”GW明けはボランティアが激減するだろうな。”と思っていたら、今本当にそうなってしまったらしい。
ボランティア不足で困っているらしい。

まぁ、人間皆自分の事で精いっぱいなのだから”さもありなん”と思うが・・・・
日本人と言うのは皆とは言わないが、こうも熱しやすく冷めやすいと云うか・・私が思うに総過剰反応国民なのだと思う。
どう云う訳だか・・事が起こるとわっと一方向に向いてしまい、更に別の事が起こるとそちらの方へ考えもせず皆走り出してしまう。
この普遍性が日本の戦後復興に果たした役割は大きいと思うが、例えばバブル景気の前までは大衆化することがこの国のビジネスの要諦であった。(富士火災海上保険の故渡辺会長も当時同じ事を言っておられた)
自動車産業も家電も購買力の向上と共に一気にこの国の中で広がって大企業が出来る原動力となった。

今、原子力発電についての議論が盛んに行われているようだ。ロイターのアンケートでも原子力発電について考え直すべきだと云う意見が90%近くを占める。
しかし、この震災の前はどうだったのだろう?
原子力発電所で飯を食っていた人も、補助金を貰っていた地方自治体も居たのに。と思う。
更に、代替エネルギーの議論の前に原子力を止めるんだと云う判断は良いのだろうか?
私は原子力推進者でもないが・・何故、こうも簡単に単純に、いつも判断が遅いくせにこういう時だけ一気に世論が動いてしまうのだろう。
更に言えば、何故意見や意識の違いを認めた上で判断出来ないのだろう。つまりは多様性を感受する意識が欠如しているのだろう。
これが出来ないと真の国際化なんて無理だと思う。

これが、今のマスコミを全面的に信用する、以前にも当ブログで書いた”総国民おばちゃん化””恥の文化”
を生み出しているのだと思う。

もう、そろそろ、自分で考えるようにならないと。
もう、そろそろ、大人にならないとと思う。





この国の外交 その1

ダイテック 中内です。

久しぶりにこのブログのテーマの一つでもある”外交が国家が国家たるべき要素の一つ”と云う固いテーマで考えてみたい。
もともと、この国の外交と云うのは歴史上どのあたりから始まったのだろう。
遣隋使や遣唐使を派遣しているころまでは、当時世界最高峰の文化を持っていた中国もっと言えば華の国から我々夷狄が、立場もわきまえず”日出づる国”と言いながらして文化を輸入するために朝見外交していたわけであるから、外交と言えるべきものではないと思われる。
鎌倉時代から室町時代に至っては、あまり外交らしいものをしていない。唯一、僧侶たちが仏教を学ぶ為に中国や韓国に渡っていたそうである。したがってこの頃から日本固有の文化が出来始めるので、仕事柄中国の観光客達を京都や奈良に連れて行ってもちっとも喜ばないのは鎌倉文化すなわち武士文化以前は彼らの方が先輩だからだと思う。
戦国時代末期はある意味、日本の歴史上外交が最も華やかだった時代かもしれない。
職豊時代とも言うらしいが、秀吉の朝鮮出兵までは、中国・韓国は言うに及ばず、ポルトガルやスペインとも交易を盛んにしていた。  ここでも、思うのだが、どうも日本人は欧米人と仲良くなると途端に偽欧米人になって中国や韓国の人を上から目線で見る癖があるようだ。そして、出兵。ほんの60数年前も良く似たことが起こっているような気がする。
江戸時代に入って三代家光の時代に鎖国。文化的にはこのころから日本人本来の素晴らしい能力を発揮する時代の一つになっていくが、外交は全く無いのと同様。
しかし、長崎出島だけは開港していたのは、素晴らしい。やはり、自国の文化だけでは物足りないと思ったか、自信が無く、蘭学等の文化を学ぼうとしていたか、はたまた貿易で儲けようと思っていたか。いずれにせよ、長崎出島を開港していた事は外交と言えば言えなくもない。

結局、幕末ペリーが下田に来て開港と通商条約締結を力づくで押し通うそうとした頃からしか日本は外交なるものを経験していないように思う。
今から思えば、職豊時代を除きたった150年ほどしか外交の経験はないのだ。
しかも、回りは海に囲まれていてヨーロッパや中東のように国境線と云う概念を持たずに済んできたし、国境を守るために戦争した事もない。誤解を恐れずに言えば、ある意味では外交など要らなかったのかもしれない。
私見であるが、近年で唯一この国が外交らしい外交をしたのは1894年の治外法権の撤廃と日英通商条約から、太平洋戦争が終結し、1952年のサンフランシスコ講和条約まで(民間外交・経済外交はその後も続きいているのであるが・・・)の約60年間くらいではないかと思う。



堀江貴文氏に思う。

ダイテック 中内です。

GWも終了し、東日本大震災の影響を受け自粛ムード一杯だった日本の観光産業もやとGW後半には活気を取り戻しつつあるようだ。
外国人観光客も欧米を中心に少しづつ戻り始めているようだ。
まだまだ、中国人観光客は少ないが香港をはじめとして動きは出ている。
私事で恐縮だが、取引のある中国側旅行社の中にも九州・関西を中心に旅行企画を組み合始めているところも出始めた。
最初からこのブログで何度も申し上げているように自粛なんて誰も得する人はいないのだから・・・
喜ばしい方向だと思う。

ところで、震災の話ばかりしている間に世界では色々なことが起こっていて、オサマ・ビンラディンが米海軍特殊部隊に殺されたり(私見だが、このタイミングの殺害にはアメリカ側の理由があるような気がするが・・)、アメリカの労働指標が改善し、アメリカ経済が完全に回復軌道に乗り始めたように私には見えるが・・(このタイミングで原油価格が下がるともっと良いのだが・・どうも、そうなりつつあるようだ。)シリアではチュニジア、エジプトの中東民主革命の流れが続いていて大統領の辞任要求が強まったり、リビアでは息子などを殺されたが未だにカダフィ政権がある程度掌握していたり(私にはこのあたりは勉強不足で良く分からない)・・・
中国とインドあたりはこの間にワールドスタンダードな産業や商品を一つでも増やそうと世界中に売りまくりに行っていたり・・・
世界の流れの中で日本だけが置いていかれているような気がする。

堀江貴文氏の実刑が決まったが・・
証券取引法違反の罪なのだが最高裁が上告を棄却した。実刑2年6か月・・・・
何とも、すっきりしない。やりきれない気がする。
一体、彼が何をしたというのだろう。
彼の罪の本質的な部分は何なのだろう。
有価証券取引法に云う虚偽記載・風説の流布・・・

日本には”出る杭は打たれる”と云う言葉がある。
人より頭一つ二つ出ると皆潰されてしまう。特にマスコミに踊らされた人はそうだ。
マスコミなんて人を持ち上げておいて叩き潰す。結局話のタネにするために好き勝手に書くだけなのだ。
問題なのは、マスコミの人たちがそれを自分たちが世論を創っていると勘違いしていることと
勉強もせず、マスコミの言うことは全て正しいと思ってしまうこの国の大半を占める”馬鹿おばちゃん”(女性ばかりではなく最近は男もこの馬鹿おばちゃん化しているように思えてならない)がまた、このマスコミを支持することなのだ。
この、儲けたいマスコミと儲けたいマスコミを支持する馬鹿おばちゃんのもたれ合い構造がこの国を駄目にしている。
更に言えばこの国は訳の分からない平等意識がはびこっている。
確かに、国民の権利一つ一つについては平等であるべきだと思うが、生まれも育ちも生きてゆく中での経験も皆違うのに(ここは当たり前)、意識として何でもかんでも全て平等なのだ・・と云う意識なのだ。
ここに、問題があると思う。
不幸な家庭に生まれる人もいれば、金持ちの旧家に生まれる人もいる。また、人生生きていく中でいろんな人と出会い、出会いの中でヒントを得て仕事を上手くやる人もいれば、大変な辛酸を舐める人もいる。
皆、そういった経験の上での人生や現状があるのにもかかわらず、今と云う時期だけを捉えて平等と云う概念で全てを見切ってしまおうとする。ここに現代日本社会の問題の一つがあるような気がする。
私はこれを自分自身では”日本人の恥の文化”と称している。
つまり、ある時間軸で捉えた時に人より優れている出る杭より、人より遅れていることが恥だと思う意識を持っているということだ。
例えば、隣の家が新車に買い替えたからうちも・・
隣の娘の**ちゃんはピアノを習っているからうちの娘にも・・・
今回の件で言えば被災した人は可哀そうだからみんなするから”私も義援金”・・・
等々・・・・ここから反対に考えれば平等だという意識が生まれてくる。
所謂、偏差値教育の罪悪なのだろう。
ここから、何が生まれてくるか?どのような人間が形成されるか?と言えば製造関係の大手企業ではとても使いやすいあまり文句を言わない皆同じ作業させることに適した機械化された人間が形成されやすい。
日本が高度成長をしていた時、製造国家である時代はこのような人間を多く輩出する社会はとても国家形成の役にたったのだろうと思う。
消費国家としても所謂大衆商品が一気に買われる、隣が買ったからうちも・・みんなが持っているから私も買わなくては・・・マスコミもそれを煽る・・・このような大衆消費社会も製造国家の次の国家形成に役にたったのだ。
これは、経済の基本論理だと私は思うが。考えてみればよい。自動車産業が・・家電産業が・・・流通産業が・・みんな大衆化したから大きくなった。
バブルの時を考えてもそうだ。みんなお金持ちだった。みんな土地や株を買いあさった。みんなが買うからまた値上がりする。その繰り返しだったのだ。

ところが、時代は変わった特に1980年あたりからグローバル化が進んだ。
安い賃金で働く製造国民(中国やインドや韓国など)が一気に世界に躍り出てきた。
日本は製造国家として成り立たなくなってしまった。
別に意識としての平等である必要がない社会になったにもかかわらずなのだ。


堀江氏や村上ファンドの村上氏にしても、ある意味ではその犠牲者ではないかと云う気がしてしまう。
彼らは当時皆が仕事着だと思っていたスーツではなくTシャツでTVに出たり、”儲けることは悪いことなのか?”と云うことを主張する人間が出てきた。
記憶に新しいが、あれだけマスコミの寵児に祭り上げられておきながら、また彼らはとても頭が良くて私に言わせると当時、本人たち自身はそれほど有頂天にはなっていなかったような気がする。(有頂天になって沈んでいった人たちは過去ほかにも幾人もいると思う)
単に、自分のビジネスを社会に知らしめたい自分の会社をもっと大きくしたい・・ただそれだけだったのではないのか? 日本人はここのところで”儲ける大きくなるだけでは駄目で社会的使命が必要”と小難しいことを言う。
会社が儲けて大きくなり、こんな法人税や所得税の高い(給付に対してと言っておこう)国で税金を払い、雇用を確保しているだけでも社会的使命は果たしていると思うが違うだろうか?

で、結局2年6か月の実刑・・・しかも、震災等ばかりのマスコミは殆ど彼の主張や彼の心境を放送しない。
マスコミにとって、あるいは日本の馬鹿おばちゃんにとって最早興味のない過去のどうでもよい犯罪者になったと云う事なのか?
私は、馬鹿おばちゃんの方がこの国を亡国に向かわせる大犯罪者だと思う。
何故なら、今の政権政府を選んだのもこの馬鹿おばちゃんなのだ。”政権交代”などと訳の分からない内容の無い言葉に酔いしれて自分の大切な一票を馬鹿政権に入れたのだ。マスコミも当時それを煽った。特に太陽の名前のついているマスコミはそうだ。
今になって”こんな筈ではなかった”と言っているが、それは通らない。自分の意思決定の上で選んでしまったのだから、その責任は自分たちにあるのだ。どうも、その事すらこの馬鹿おばちゃんたちは分かっていない。
あと、何年この日本と云う国が存在できるのか分からないが・・きっと将来の人は”昔、日本と云う豊かな文化と一人一人が高い意識を持ち繁栄した国があったが、世界を見る眼を無くしてひたすら内向きに自分の恥ばかりを気にするようになって、自分たちでその文化や意識を荒廃させてしまった為に滅亡した馬鹿な国。”
と云うのだろう。

なんとも、やりきれないなぁ。












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