ダイテック 中内です。
今年は、前回のブログで最終回と思いましたが・・・番外編を短く。。。
この国で自民党・公明党に政権が戻り、新しい安部政権が始まりました。
日本を再生させるというキャッチフレーズの下、矢継ぎ早にいろいろな経済対策が打たれんとしていることは
ある意味喜ばしいことです。
昨日も各ニュース番組で新閣僚の紹介とともに今後の予測をしているのを見ていて
私なりに少し気になったことがあります。
それは、街の声と称して新しい政権に何を期待するか?という質問に対する答えです。
なんだか、新しい政権にこれをしてくれ。この部分をもっと何とかしてくれ!という声があまりに多いことです。
この国は一体だれの物なのでしょうか。。われわれの物であるはずです。
そうであれば、”○○○してくれ!””○○○ほしい!”ではなくて、
われわれ一人ひとりが、この後のない崖っぷちに来ているこの国のために何ができるのだろうと自分なりに考え行動するべきなのではないでしょうか。。
いつのころからか、国が何とかしてくれる。とか国の責任とかという考え方が蔓延してしまっていはいないでしょうか。
私は阪神大震災を経験した者ですが、東日本大震災を見ていて、確かに想像を絶する被害に遭われたのであるから致し方ない部分はあると思いますが、阪神大震災の時は火事で生きながら焼かれた被災者の多い長田地区の人たちが”もう国には期待できない!。 国に任せていても何もしてくれない!。神戸は日本から独立してやる!”
のような声をあげて家族を失った悲しみに耐えながら涙を流しながら顔をあげて声をあげて、地域でいろいろな復興活動をしていたことを思い起こします。
行政から”震災道路を造る。”と言われた時も”なんで自分の土地を拠出しなければならないのだ!”と憤りつつ自治会が毎夜毎夜集まって喧々諤々議論をして区画整理に立ち向かっていきました。
国なんて行政なんて・・って云う気持ちがあったから、震災直後は、あの日本最大の暴力団でさえ炊き出しもしたし、
スーパーやコンビニだってヘリコプターで物資を運んで店を開けたし、その後の復興の時期にも先に記載したような長田地元の人たちや自治会の人たちが、どこへも持っていく先のない怒りにも似た気持ちを日本一の震災に強いモデル地区になってやると云う強い気持ちに変えて、努力を続けてこられたのだろうと思います。
確かに、その過程で行政からの”やれ法律だ云々”に阻まれ、一部、次第にその気持ちも萎えていったことは否めませんが・・・・。
そのような経験からすると、東日本の方々もおそらく地元ではそういう活動は行われているのでしょうが、
”やれ、復興庁がどうだ。 やれ、予算がどうだ!”みたいな話ばかりを耳にします。
怒りが無いというか、なんでも国から与えられなければ出来ない諦感というか・・を感じてしまいます。
われわれ、日本人が日本という国は自分の物と云うより誰か第三者の物であるかのような。そして、この国のことは政治家がすること。役人がすること。自分たちは貰えるものだけ貰えれば。。のような、そのような気持ちになっているのではないでしょうか。
1960年1月のアメリカ大統領就任演説でJFKがあの有名な演説を行いました。
”国が自分に何をしてくれるのかを考えるのではなく、自分がこの国に何が出来るのかを考えなければいけない。”と。
今こそ、私たちはこの言葉を思い起こし、もう一度、心に熱い思いを滾らせて一人ひとりが”どうせ・・・”と云う気持ちを乗り越え、考え行動していかなければならないのではないでしょうか。。
本当に崖っぷちに来ているこの国なのですから。。
今年は、前回のブログで最終回と思いましたが・・・番外編を短く。。。
この国で自民党・公明党に政権が戻り、新しい安部政権が始まりました。
日本を再生させるというキャッチフレーズの下、矢継ぎ早にいろいろな経済対策が打たれんとしていることは
ある意味喜ばしいことです。
昨日も各ニュース番組で新閣僚の紹介とともに今後の予測をしているのを見ていて
私なりに少し気になったことがあります。
それは、街の声と称して新しい政権に何を期待するか?という質問に対する答えです。
なんだか、新しい政権にこれをしてくれ。この部分をもっと何とかしてくれ!という声があまりに多いことです。
この国は一体だれの物なのでしょうか。。われわれの物であるはずです。
そうであれば、”○○○してくれ!””○○○ほしい!”ではなくて、
われわれ一人ひとりが、この後のない崖っぷちに来ているこの国のために何ができるのだろうと自分なりに考え行動するべきなのではないでしょうか。。
いつのころからか、国が何とかしてくれる。とか国の責任とかという考え方が蔓延してしまっていはいないでしょうか。
私は阪神大震災を経験した者ですが、東日本大震災を見ていて、確かに想像を絶する被害に遭われたのであるから致し方ない部分はあると思いますが、阪神大震災の時は火事で生きながら焼かれた被災者の多い長田地区の人たちが”もう国には期待できない!。 国に任せていても何もしてくれない!。神戸は日本から独立してやる!”
のような声をあげて家族を失った悲しみに耐えながら涙を流しながら顔をあげて声をあげて、地域でいろいろな復興活動をしていたことを思い起こします。
行政から”震災道路を造る。”と言われた時も”なんで自分の土地を拠出しなければならないのだ!”と憤りつつ自治会が毎夜毎夜集まって喧々諤々議論をして区画整理に立ち向かっていきました。
国なんて行政なんて・・って云う気持ちがあったから、震災直後は、あの日本最大の暴力団でさえ炊き出しもしたし、
スーパーやコンビニだってヘリコプターで物資を運んで店を開けたし、その後の復興の時期にも先に記載したような長田地元の人たちや自治会の人たちが、どこへも持っていく先のない怒りにも似た気持ちを日本一の震災に強いモデル地区になってやると云う強い気持ちに変えて、努力を続けてこられたのだろうと思います。
確かに、その過程で行政からの”やれ法律だ云々”に阻まれ、一部、次第にその気持ちも萎えていったことは否めませんが・・・・。
そのような経験からすると、東日本の方々もおそらく地元ではそういう活動は行われているのでしょうが、
”やれ、復興庁がどうだ。 やれ、予算がどうだ!”みたいな話ばかりを耳にします。
怒りが無いというか、なんでも国から与えられなければ出来ない諦感というか・・を感じてしまいます。
われわれ、日本人が日本という国は自分の物と云うより誰か第三者の物であるかのような。そして、この国のことは政治家がすること。役人がすること。自分たちは貰えるものだけ貰えれば。。のような、そのような気持ちになっているのではないでしょうか。
1960年1月のアメリカ大統領就任演説でJFKがあの有名な演説を行いました。
”国が自分に何をしてくれるのかを考えるのではなく、自分がこの国に何が出来るのかを考えなければいけない。”と。
今こそ、私たちはこの言葉を思い起こし、もう一度、心に熱い思いを滾らせて一人ひとりが”どうせ・・・”と云う気持ちを乗り越え、考え行動していかなければならないのではないでしょうか。。
本当に崖っぷちに来ているこの国なのですから。。