日本を憂うる熱血社長ダイテック中内のブログ

日本人の常識は世界の非常識。日本は島国ではなく海洋国家であるべきを基本コンセプトに、日本という国家及び日本人の現状そして・・ これからあるべきこの国の形や我々の考え方を皆さんと一緒にフランクに考えていきたい・・

2018年03月

少しはマシな方向へ

ダイテック 中内です。
前回のブログで、”この日本のエネルギー政策は、世界の流れと逆行していてどうかしている”と書いたのですが、経産省が夏にもまとめられる2050年に向けた第5次エネルギー政策で再生可能エネルギーが主力電源としての位置づけをされることが決まりました。
原子力発電は、同様に主力電源としての位置づけはかわらないものの、電源構成の原子力発電の比率を示すことはなく、潮目は変わったように見えます。
再エネは高いものだという感覚から、再エネを導入していかなければこの国は世界の中で取り残されていくのだと感覚をやっと少しづつですが取り入れ始めたのではないかと思います。
高いから導入しない、出来ないではなく、もはや温暖化に対応するためには、再エネを導入しなければならないと云うことです。
実際には、太陽光は野点の場合で4円/KWくらいですし、昨年のUAEでの入札では2円/KW代の価格にまで下がっています。風力のコストも、5円/KWから9円/KW代にまで下がっています。
一方、これからは有っても使えない座礁資産である化石燃料による発電では最も安いと言われてきた石炭による発電でさえ6円~10円、天然ガスになると15円/KW~20円 ですので、太陽光や風力による発電の価格優位性が出てきています。
更に重要なことは、太陽光パネルや風力発電機はまだまだ技術開発の余地があり、それが進むと更に安く発電できる可能性があるということと、償却が終わってしまえば、燃料コストは太陽の光と風なので全くゼロ、つまりは限界費用が0であると云うことです。しかも無尽蔵です。
ただ、一方では今の日本の政策では、最エネが増えると我々が支払っている賦課金が増額することになります。
ただでさえ、国際的に見て高いと言われている日本の電力価格は更に高くなるのでしょう。
FIT(固定価格買取制度)によって最エネを推し進めようと云うのは良いのですが、それが前提になってしまうと、ドイツのように最エネは進んでいるが電力料金は高いということになりかねません。
また、電力網の中で需給の調整弁を果たすのは何になるのでしょう。
私自身は、この点についてはやはり発電量を調整できる原子力発電は多少必要なのではないかと思っています。
数年前には、原子力もCO2を出さない電源なので固定価格買取制度に入れようと云う動きがあったようです。(確か当時は17円/KWだったように記憶していますが・・)
島国で、海外に余った電力を売ることの出来ない日本では、調整弁はどうしてもそれなりには必要になってくるのでしょう。
そういう意味では今回の原子力発電の比率は明記しないと云う方針の経産省の第5次エネルギー政策は片手落ちだと感じます。調整弁はどうするつもりなのでしょう。

そうは言ってはいても、価格の問題にとどまらず、何度も申し上げているように、もはや、世界の流れはRE100 に名を連ねる企業を見てもわかるように化石燃料を使う企業や国は生き残っていけないということは事実です。
あとは、系統連繋のコストをいかに早く下げられるか。つまりは実際には稼働率3割りそこそこしか使われていない送電線網を電力会社の云うように、”現在の設備認定取得済み案件が全て可動したら・・原発の再稼働があったら・・その時のために送電線網を空けている”と云うコントラクトベースでの送電線契約ではなく、実際に今流れている電力のフローでの契約方法にいかに早く変えられるかが鍵だと思います。
ここが、高止まりあるいは高くなっていく電力料金を下げうる一つの答えではないでしょうか。
今後の送電線網の改革に期待したいと思います。



どうかしてる

ダイテック中内です。

このところの日本国の気候変動に対する姿勢はどうかしている。
世界中で、気候温暖化によって引き起こされる気候の大きな変動について、何も感じていないようです。
確かに、東日本大震災の時に起こった福島第一原発の後、原子力発電がすべて停止したので、逼迫する電力需給に対応するために火力発電所を再稼働させ、あるいは新設したのはわかるのですが
高効率火力発電所と称して、CO2削減率10%に満たない火力発電設備を日本の技術だと言って海外特に途上国にまで輸出しようとさえしているのには首をかしげてしまいます。
CO2削減率10%で済むのなら、再生可能エネルギーによる発電など要らないはずです。
昨年末に京都で京都議定書20周年のシンポジウムがありました。
挨拶に立ったパリ市議会議長(女性)の挨拶に震えるほど感銘を受けました。
”どこの国だかは知らないが、どこかの大国が、地球温暖化はfakeだと言って、パリ協定から離脱したが、我々にとって、どうでも良いことだ。地球温暖化は着実に進んでいるし、私達は次の世代にこの地球環境を引き継ぐ責任を負っているのだから、決めたことを粛々と進めるだけだ。残念なのは、この国日本が我々とは逆の方向に行っていることだ。”
と言っていました。

確かに、世界には様々な意見があり、さまざまな研究が行われています。
少ないですが、世界は寒冷化に向かっていると言う研究者もいます。
しかし、産業革命よりこのかた、われわれ人類は、地球という奇跡の星を汚してきたのだけは間違いないのです。CO2増加にとどまらず、森林破壊、水質汚染、化学物質の製造など多くの場面で汚してきたのは事実です。
そうであれば、汚れた地球より綺麗な地球のほうが人類だけではなく、他の動物にも、植物にも良いことだけは確かです。
綺麗な地球を残そうとすると、反対に物質的に豊な世界を手放すことになる。という議論があると思いますが、確かにそうだと思います。
”何が豊かさなのか・・精神的な豊かさがあるではないか”という議論がありますが、私はこれは違うと思います。
豊かさとはやはり物質的な豊かさや技術革新による豊かさが占める比重は大変大きいと思います。
少し前まで途上国であった中国や、これから豊かさを享受しようとするインド、アフリカの諸国の考えや希望を否定は出来ないと思っています。
ただ、われわれ先進国は、これ以上の物質的な豊かさは必要ないのでは無いかと思います。
実際、先進国と言われている他の国に行ったときでも、我々日本の社会に慣れた者から見ると多少の不便さは何処でも感じるものです。
この多少の不便さは受け入れなければならないのでは無いでしょうか。。
これ以上の豊かさを求めるのであれば、今までとは全く違う意味での豊かさでなければならないのだろうと思います。例えば、フィンランドは人口500万そこそこですが、ITなどに特化して豊かさを享受しています。このような、生産性を向上させることに繋がる豊かさなのではないかと思います。
逆に、今、この日本で言われている”働き改革”や”生産性向上”とは何なんでしょうか??
単純に、ワーキングシェアをして表面上雇用を守っているふりをしながら、所得税を摂る頭数を増やしているだけではないのでしょうか。。この国のGDP60%近くが個人消費であり、(今どきGDPなんて云う経済指標を使うことも古い気がしますが・・)第3次産業に従事する人が多い中で、働き方改革なんてやったら、たちまち人手不足になることは眼に見えていますし、価格を上げられない(これはグローバル化による)状況の中で、人手確保のために賃金を上げたり、交代要員を増やしたりすれば生産性は下がるのでは無いですか。。それでなくてもこの国は馬鹿な人が言ったように
”おもてなしの国=サービスは無料の国”なので、ただでさえ第3次産業では生産性は低いのですから。。
本当は、我々自身が、価値観を変えて・・サービスは無料ではない、あるいは有料サービスはここまでしか無いことに理解をし、多少不便であってもそれを受け入れる国民になることであり、更なるサービスを受けたければ、そこは高額な対価を払うものだと認識することだと思います。
ここに、立ちはだかるのが・・団塊の世代の人たちなのでありますが、この点はまたの機会にしたいと思います。

ところで、話は変わって、巷を賑わせている”森友問題””財務省決裁文書書き換え問題”ですが・・・
森友問題なんて、どうでも良い話で、忖度があったか無かったかといえば、間違いなくあったのですよ。そうでなければ当初の土地取引で賃貸にしてみたり8億も値引きしたりすることはありえないのですから。。ただ忖度という言葉はどのような定義なのかは知りませんが、法的に悪いかどうかと言えば、法的には問題ないのでは無いでしょうか。単純に総理が道徳的・管理者責任(一応、日本では家長が管理者とされている習慣なので)を謝罪すれば良い話でしょう。
それより、”決裁文書の書き換え”は、大きな問題だと思います。公文書の書き換えは歴史を歪めることになりかねない。明日、佐川元国税庁長官の証人喚問と言うけれど、何のためにやるのでしょうか? 時間潰しのショーにしか過ぎないし、興味はないが野党の話を聴いていても佐川氏の人間性に淡い期待を(反発してくれるのではないか・・)しているだけで、究明なんて出来ないでしょう。。
それより、当事者の籠池氏夫妻はなぜ拘置所から出てこれないのでしょうか?
証拠隠滅や逃亡の恐れが無いのであれば、保釈が認められても良いと思うのですが・・・
昨日、TVを見ていますと、地検特捜部の担当する事案については、被疑者が認めない限り保釈は出来ないのだそうで、かつてずっとそう云う習慣の下で行われて来たとのことです。
それを聴いてゾッとしました。
これって、時代劇に出てくる”白状しろ~!、白状しないのであれば石を抱かせてやる!!”と云う江戸時代の拷問による自白が全てだと云うのと変わらないのじゃないですか。。
保釈は検察の申請により裁判所が認めないのだと云うけれど、裁判所だって検察との司法取引もあるだろうし、まさに裁判所が検察のメンツのために忖度しているってことでは無いのですか。
籠池氏夫妻に言うことが正しいか正しくないかと言うことは分かりませんが、検察のメンツのための江戸時代と変わらない拷問による人権侵害ではないのでしょうか。。
かつて、魏の曹丕(魏の曹操の息子、魏の2代目皇帝)が言っている言葉があります。
”民衆なんて言うものは、ただ平和で食べられるようにさえしておけばよいのだ。それが政治と云うものだ。”
確かに的を得ていると思います。今の官僚というのか政治家というのか、も同じように考えているのでしょう。。政治というものにたずさわっている者としてはある意味正しいのかもしれません。
ただ、我々民衆の側にも考えなければならないことがあります。
永井荷風が日中戦争が始まった頃に残した言葉に
”元来、日本人というものは、理想無く強き者に従い、その日その日を気楽に送ることを第一となす”
というのがあります。これまた、真実であります。
本当に、これで良いのでしょうか。。このグローバル化した社会・時代にこのままで良いのでしょうか。。
社会や時代の流れは、否応なしに大きなその潮流に我々日本人や、日本という国を飲み込み押し流しています。
アフリカでは、独裁者の台頭やそれに反発する勢力などの内戦が続き、飢餓状態も続いています。
中東シリアでは、9年の長きに渡る終わりの見えない内戦で、化学兵器なども使われているようです。
中国は海洋への進出ばかりではなく、アフリカ・アジア諸国への進出を投資と云う名目で進めています。
ロシアやアメリカなどに対しては語る言葉さえ見つかりません。
今回のトランプ政権による鉄鋼・アルミニウムに対する関税措置は、いずれ世界に大きな禍根を残すことになるような気がします。
良く言われる、グローバリゼーションなんてものは何なのでしょう。その国がグローバル化する選択をするのも、本来は自国にとって得になることが多いからなのでしょう。
それは、保護主義とどう違うのでしょう。。関税を撤廃して人・物・資本・情報が自由に行き来することによって、参加しているみんなが得をするってことがグローバルリゼーションの本質であるとすれば、その国独自の文化や習慣などは次第に薄められて行くってことで、国の概念などは必要なく、すべてが他民族の集団の集まりになっていくのでしょう。
それに対する反発も世界の各地で起こり始めているのです。その最たるものがアメリカなのかもしれません。
そのうちに、我が日本も他民族の集まりに過ぎなくなるのでしょうね。
その頃には、この国には天皇陛下も居ないし、政府も地域連邦政府(アジア連邦とか北米連邦とか)になって、もう少しましな皮膚の色の違う官僚や政治家たちが青い目や金髪や黒い皮膚の民衆を率いて行くのかもしれません。言葉だってわけのわからない言葉になっているかもしれません。
バーチャルで宙に浮いた端末をたたいて火星に移住した仲間や家族たちと(温暖化と人口爆発で、おそらく地球上に住める人数は限られてしまうのではないかと思います。)情報交換をしているのかもしれません。
そうのようなことを考えていると、今、この国で起こっていることはどうでも良くなってしまうのでが・・永井荷風が言っている通りの一民衆に成り下がってしまうのですが。。

















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